判決において真実は必ず勝つか
- 1.本当は、「真実は勝つ」と言いたいところですが、そうとは言えないところがあります。
我々弁護士は、依頼者の主張するところが真実だと考え、訴訟活動を致します。裁判官も双方の意見を聞き、証人調べを行って真実に則した判決がなされる様最大の努力をしているところです。
この様な論争の中から真実に近づく判決がなされることとなります。この様な一般原則はその通りであります。
- 2.しかし、現実の裁判の過程には真実に至るのに困難な問題が多くあります。一つは、裁判の仕組みの限界です。民事裁判では、要件事実といって一つの法律効果が発生するためには、この様な事実がなければならないとの構成事実を問題としています。例えば、物を相手方に渡した場合、これが売買の約束に基づくものか、贈与なのかについて判断基準となる要件を定めています。法律家は、この要件事実が何かを十分理解する必要があり、必修の知識です。
ところが、実際の社会の動きの中では、本当は売買したのか贈与したのかどっちとも言えない場合があります。仮にタイムカプセルで過去の世界に行くことができたとしても、判断が難しい事例は多くあることと思います。
しかし、裁判では勝つか負けるかのいずれかであり、中間という判断はありません。そこに、真実と裁判との間に無理が生じます。
- 3.また、タイムカプセルに乗って誰も過去の世界に行けません。そのため、裁判では過ぎ去った過去の事実がどうであったかを裏付けるために、古い書面を提出させたり、証人尋問を行ったりして何とか真実に近づこうとします。
しかし、書面といっても当時の事情が正しく反映された文章かどうかの確証は得がたく、証人尋問も初めて証言する人は落ち着いて十分当時のことを再現できないこともあります。逆に、場慣れした証人は自己に有利な様に事実を曲げて証言しているかも知れません。この様に、過去を現代に再現すること自体に限界があると言えます。
- 4.また、裁判官はこういう事実があれば、通常人はこういう行動を取るだろうとの一般常識人の行動規範に基づき判断をしていきますが、その裁判官の規範意識が社会の常識と異なっていたりした場合は判断に狂いが生じます。
また、関係当事者が常に一般常識人と同じ行動を取るとは限りません。気の強い人、弱い人、お金のある人、ない人、社会経験の有無など、人は色々な背景を持って行動しており、一概に言えないところがあります。
つまり、一般的行動という判断基準にも原則があれば例外もあるのです。
- 5.また、依頼した弁護士の仕事に対する熱意と能力も大いに関係してきます。常に判例を検討し、丹念に事実調査を行い、十分な打ち合わせを行う弁護士と、そうでない弁護士との差は極めて大きいものがあります。能力のある弁護士に依頼することにより、真実に近づくことは可能かと思います。
この様な種々の事情から、人間の行う裁判にはどうしても真実到達に限界があると言わざるを得ません。
しかし、社会で起きる様々な紛争を解決する手段としては、裁判しかないことも事実であり、結局裁判制度の信頼の確保のためには、裁判官を含めた法曹の資質が問われることとなります。(なお、本件記述は民事裁判を念頭に置いています。)